読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

さよなら、ギャシュリークラム

遺書を書かされています

「中」

 午後二時。駅裏にある喫茶店に一人の男がいる。
 男の名前は沢渡健吾。ゴシップ系週刊誌の編集者を務めている、それなりに勤勉な男だ。ただ最近ではインターネットやフリーペーパーなどの存在により、発刊部数も激減。元々、沢渡が勤める出版社は大手と言われるものではなかったため、それの影響は最たるものだった。
 だが、今日は一つの確信を持ってこの喫茶店を訪れている。沢渡は付箋が幾つも貼られた取材手帳を開き、再度待ち合わせの確認をする。そこには14:00と赤ペンで間違いなく書かれており、どうやら待ち合わせの相手は時間にマメな人物ではないようだ。
 テーブルにはアメリカンコーヒーが一つだけ置かれていて、だがそれに一切口を付けてはいないようだった。
「……特ダネ、か」
 軽い溜息をしながらそう呟くと、手帳を閉じ窓から通りを眺める。混雑する西口とは違い、東口に位置するこの通りは人影が疎らだ。大きなビルは幾らか建ってはいるものの、大体が企業やビジネスホテルなどで、若い人間が歩く理由はあまりない。しかし沢渡はこの喫茶店をそれなりに気に入っており、ちょくちょく利用している。穴場と言うほどではないが、彼が利用する様々な店舗の中では頻繁に通っている方だ。
「あの、すみません」
 ふと通路側から声をかけられ、沢渡は振り向いた。そこに立っていたのは二十代後半程度の、ショートカットに黒い縁の眼鏡を掛け、端正な顔立ちをした美しい女性だった。
「は、はい、何か?」
 彼女は淡い色のチェックブラウスとデニムパンツを履いており、見る限りウェイトレスのようでもなかったので、もしや知り合いか? とその顔を記憶の中から探していた。
「○○出版の沢渡さんですよね?」
「……ええ、そうですが。え? じゃああなたが?」
「はい。先日御手紙差し上げた……」
 沢渡は彼女こそが待ち合わせの相手だと知って心底驚いた。
「僕てっきり男性かと思ってました」
 女性は口元に手を当てて微笑んだ。
「そう思うのも無理はないかもしれませんね」
 沢渡はどうぞと言って彼女をテーブルの向かい側に招いた。
「じゃあえーと、早速お話を聞かせていただきたいんですが」
 取材手帳を開きながら沢渡は女性の顔を見つめる。
「あ、その前に何か注文しますか? メニューはあまり多くはないですけど」
「そうですね。じゃああなたと同じものを」

 *

山田花子です」
 およそ似つかわしくない名前をさらっと述べて、彼女は「もちろん偽名ですけど」と付け加えた。おそらく本名を名乗ることはないだろうと思っていた沢渡は、そもそも記事に起こした場合イニシャルで彼女の発言を記載するつもりではあった。
「えーとじゃあ初めに、山田さんがそれを始めようと思ったきっかけからお願い出来ますか?」
 山田は思い出すように指先を顎に当て、口を開いた。
「そうですね。私の場合は身内が関係者だったんです。要はコネクションですね」
「ほうコネクションですか。そういう業界でもあることなんですね」
 沢渡は感心したように手帳に書き記す。
「意外かもしれませんが多かったりするんですよ。やっぱり表立って募集なんて決して出来ないですから」
「なるほどね。……しかし幾ら身内だと言っても、関係者がそれを他言するのはマズイことではないんですか? 漏洩してしまったら洒落ごとではないでしょう?」
「いえ、むしろ冗談だと思われることの方が多いみたいですよ」
「はぁーそんなものですか。まぁ世間の風潮がそうですもんね。しかし徹底管理されてるはずでは?」
「管理はされますよ。一部のスタッフにはGPSが取り付けられたりしますし」
 沢渡は驚愕した表情で一瞬固まる。
「それはプライベートな時間でもですか?」
「そうです。情報は全部筒抜けになりますね。私の知り合いは、関係者と言っても末端の方だったから咎められることは少なかったんです」
「我が耳を疑いたくなるような情報ですね」
「信憑性がないかと思いますが、一応真実なんです」
「いや、信憑性なんてどうでもいいんですよ。心震わせる見出しさえあれば」
「……確かに、スキャンダラスな情報ではあるでしょうね」
「それに読者にはそれを確認する手立てがないんです。そして僕も嘘を記事にする訳じゃない。全然問題にはならないですよ」
「それもそうですね」
「実はまだこの件は編集長に話付けていないんですよ。これは話題になるだろうという報告だけしかしてません。しかし今の時点で既にショッキングな内容ですからね。これは売れますよ」
 意気揚々と語る沢渡に、山田は優しく微笑む。
「えーとじゃあ続きをお願いします。それでは、中の人を辞めたきっかけというのは?」

 *

「当然のことなのかも知れませんが、やはり想像していた通り厳しい職場だったんですね」
「お客様へのイメージが大事ですから。あそこだけ隔離された法治国家みたいなものですよ」
「お、良いフレーズですね。それ使わせて貰いますね」
 沢渡は手帳へ一心不乱に書き込んでいる。
「ところで……すみません。今更なんですが、まさかあなたのような綺麗な女性が中の人だったとは思ってもみなかったです」
「綺麗かどうかはともかくとして、そう思うのも無理はないかもしれません。人一倍体力がなければ話にならないですし。でも実際どの業界でも女性が、っていうパターンは多いんですよ。私もスポーツ少女だったので体力と根気には自信がありましたし」
 そう言って笑う山田はやはり美しく、これなら普通にモデルとしても活躍出来そうなものだと沢渡は思った。
「採用の条件といったものはあるんですか?」
「んーそうですね。重要視されるのは、演技力ですね」
「演技力?」
「その役になりきる必要がありますから。中に人が、ということは周知の事実なんでしょうけれど、それを踏まえた上で仕事をする訳にもいきません。殺されても認めるな、というのがルールなんですよ」
 凛とした姿勢で見つめてくる山田に、沢渡は少し戸惑い、見つめ返せないまま平然としたフリで言葉を返す。
「なるほど、職務に命を賭けている訳なんですね。素晴らしい営業体制だなぁ。うちとは大違いですよ」
 沢渡が笑うと、山田も同調して笑った。
「えーと、じゃあとりあえず取材はこのくらいで。……ところで本当に大丈夫なんですか? やはり今までの話を全部踏まえると、あなたの身に危険が及んだりする可能性も……」
「さっきあなたが仰っていた通り、誰も信じたりはしませんよ」
 そう言いながら山田はコーヒーを口にする。
「それならば構わないんですが……。……どうです? この後一緒に食事でも」
 山田はきょとんとした顔で沢渡を見つめ、そして笑った。
「それも取材の一環ですか?」
「いえいえ、個人的なお誘いですよ」
「では喜んでお受けします」
 二人は並んで楽しそうに店を出た。

 *

「おおう沢渡。お前この間言ってた特ダネってどうしたんだ?」
 顎に立派な髭を蓄えた男が、デスクでパソコンと奮闘している沢渡に声をかける。
「あ、編集長。あーあれですか? いや、実はあまりに信憑性がなさ過ぎたもので結局没にしちゃいました」
「なんだってえ? お前なースクープとか言うから結構期待してたんだぞ」
「すみません。でも今度はばっちり特ダネ掴んできますよ!」
 元気よくそう言った沢渡を、編集長は訝しげに見つめた。
「お前、なんだか明るくなった気がするな。……まぁいい。やる気があるのはいいことだ。俺をがっかりさせてくれるなよ?」
「わかりました。じゃあ、これから取材がありますんで行ってきます!」
 沢渡は眼鏡の縁を持ち上げ腕時計を確認すると、編集長に一礼し部屋から飛び出していった。それに驚きながらも編集長は自らのデスクにつき、他編集者が持ってきた印刷物に目を通す。
「何だか最近の沢渡さん、以前にも増して勤勉ですよね」
 薄ら笑いを浮かべながら別の編集者が編集長の元へ近付いてくる。彼はお願いしますと言いつつ、今し方打ち出しを終えた印刷物を突き出した。編集長はめんどくさそうにそれを受け取りながら返事をする。
「さあな。女でも出来たんだろう。幸せに満ちているような顔だったぞ」
「そうですかね? ……まぁ確かに、アイツはそれなりに真面目だったけど、結構大人しい方だったからな」
 渡された印刷物に目を通しながら、編集長はこう言う。
「しかし確かに気持ち悪いかも知れねえなあ? 言動もともかく、なんつーか雰囲気がな」
「あー分かります。なんだか周りに媚びてるって感じがしますね。女々しいっていうか」
 編集長はお茶を口に含み、少し考えながら鼻で溜息を吐く。
「中の人が変わっちまった。そんな感じだよな」