読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

さよなら、ギャシュリークラム

遺書を書かされています

「サイレンと似た静寂」

私小説、あるいは

 遠くから救急車のサイレンが聞こえる。アパートの立地は国道に近く、更に一キロ圏内に総合病院がある。毎日毎晩、とは言わないが、引っ越しをしてから都合三桁はあのけたたましい音を耳にしている。甲斐あってか今や多少の騒音の中でも眠れるようになってしまった。俺と友人は音が過ぎ去らないうちに「お前を迎えに来たぞ」「予約はまだ先だ」などと笑い合った。
 同級生の弟が事故で亡くなったという連絡があった。一応実家が近所だからと、高校からの友人が電話をくれた。幸か不幸かなかなか機会もなく、このような場合どうすればいいのかわからなかった。友人は卒業後、地元で公務員として働いていたし、亡くなった彼とは個人的な関わりがあったらしく、葬儀への参列に積極的だった。対して俺は、卒業してから着実にフリーターとしての道を歩み始め、地元から小一時間離れた中核都市に住まいを置いている。さらに言えば、言われてようやく名前を思い出す程度の同級生の弟が亡くなったと聞いて、俺に何の関係があるんだ? とついつい口に出てしまったほどだ。
「ま、いいんじゃないか? 誰かに聞かれたら、忙しかったとでも言っておけば大丈夫だろ」
 相変わらず口も性格も悪いな、と思いつつ彼に同意する。
「そうすっか。その、なんとかくんには悪いけどさ」
 もう名前忘れたのかよ、と彼はいたずらっぽく笑う。
 亡くなった彼は、陸上競技の県大会で上位入賞を収めるほどの人物だった。事故に遭ったのは一昨日の夕方、脇見運転且つ信号無視をしたトラックに、って話だ。申し訳ないが、よくある話だな、としか思わなかった。ニュースで聞く限り、その類いの事故は全国各地で毎日起きている。ただそれがそこそこ身近で起きてしまった、という印象だ。
「……あー、しかしさ、電話ついでに来てみたものの、あんたまともに生活してたのか?」
 彼は缶ビールを飲みながら、俺の部屋を一瞥してそう言った。
「まとも、かどうかはよくわからねえけど、くそつまんねえ生活をしてるってことだけは確かだな」
 俺の返事に彼は大きくため息をつき、「まあ口出しするつもりはねえけどさ」と続けて呟く。
「あんたがこの部屋で野垂れ死んでても、誰も気付かなそうだからな」
「まあその通りだよ。連絡を取り合うやつなんてほとんどいないし。人間関係なんて最低限でいいだろ。俺は、静かな夜が好きなんだ。お前だって会うのは数カ月ぶりだよな」
 半年ぶりだよ、と彼は缶ビールを飲み干す。
 部屋に誰かを招き入れるのも久しぶりだ。大体は一人きりでテレビをつけたまま、見たり見なかったりするだけの生活を繰り返しているのだ。二年前地元を離れてから、遊びに行く友達もいなかったしできなかったし、彼女なんてできる以前に作る気もなかった。こいつの言うとおり、今夜俺がここで死んでしまってもしばらくは誰も気付かないだろうな。
「泊まってくんだろ? 流石に飲酒運転はマズイよな」
「大丈夫だよ。いざとなったらこの身一つで走って帰るし」
「走って何時間かかるんだよ」
「学生の頃考えたら別に大した距離じゃねえだろ」
「そういう問題じゃねえよ。せめて代行呼べ」
「わかってるっつーの。変なとこばっかりきっちりしやがって」
 変なとこばっかり、ってのに少しだけカチンと来たが、その通りだ。自堕落で先の見えない生活をしている俺が、馬鹿みたいに規律を守るふりしてみたって笑い話だ。地元で安定した職業について真面目に生きているこいつに、俺が説教したところで何になる? そう考えたら喉が詰まったように何も言えなくなった。
 遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
「ま、久しぶりに会えて良かったよ」
「……なんだ、いきなり」
「いや、なんだかんだでちゃんと生きてるか心配だったからさ」
 なに言ってんだよこいつ、と思いながら鼻で笑ってやる。だが、こいつはこいつで、悩みとか心配事とかあるのかもしれないな。愚痴の一つでも聞いてやろうか。
「人生ってさ、いや、生きることってサイレンみたいだよな」
「はあ?」
 なんだ、意味不明なことを言い出した。
「最近思ってたんだよ。社会に出て、学生の頃の知識なんてまるで役に立たなくて。でも、馬鹿にされてなじられても必死で生きて、生きていれば、それでいい。……本当にそれで良いのか?」
 要領を得ない物言いだ、割り込むわけにはいかなそうだな。
「好き勝手生活して、目の前がよく見えないけどとりあえず生きてるあんたみたいな人間だっている。将来を有望視されたけど結果が出せないまま、中途半端な死を迎えたやつだっている。自分の考え方なんて他人にはわからない、けど人生を評価するのはいつだって他人だろ? 自分では真っ直ぐ歩いてるつもりなんだよ。でも、端から見れば歪んで見える。ドップラー効果みたいにさ、立ち位置で、そいつの人生がぐちゃぐちゃになって見えるんだ。正しいと思ってるのは、自分自身だけだ。でも、遠巻きに見てる連中のほうがずっと多い」
 サイレンが近づいてくる。でもその音は聞く人を不安にさせる、耳に慣れた音じゃなかった。歪なメロディだ。小学校の下校時に流れていたような優しく懐かしいメロディが、奇妙に歪んで近づいている。
「静かすぎる夜なんて、俺は嫌いなんだ。あんたも本当はそうだろ?」
 大きなため息を付きながら、彼はビールの缶を握りつぶした。立ち上がって一伸びすると、「んじゃ、帰るわ」と。俺は彼の一連の行動を眺めながら、ようやく我に返ると「代行は?」と小さく叫んだ。
「予約してるつっただろ」
 玄関で靴を履きながら彼は言う。歪なメロディは一際大きく聞こえ、そして鳴り止んだ。代わりに玄関の窓を、何色ともつかない色が眩しく断続的に照らしている。黒のようで、紫のようで、緑のようで。俺は咄嗟に彼の名前を呼ぼうとして、呼べなかった。今はじめて彼の名前を忘れていたことに気付いたのだ。
「じゃあな、先輩」
 彼は振り返って笑うと、ドアノブを回した。