読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

さよなら、ギャシュリークラム

遺書を書かされています

「布」

私小説、あるいは
 所用も所用、取るに足らぬ用事を済ませてモノレールに乗り込んだ。蕁麻疹、とまではいかないが、足を踏み入れた瞬間に身体中が痒くなる。慣れない状況、ストレスで胃も痛い。文字通り地に足をつけていない状態だ。せめて意識だけはしっかり保っておかなくては。
 地元を離れるのも初めてだと言うのに、新幹線・鉄道車両・モノレールを乗り継いでコンクリート肌が露出した、見上げるほどでかいあんな施設に招かれるなんて、なあ。所要距離も所要時間も人世という時代のうねりにおいてはさしたるものではあるが、私のクソくだらない人生においてはただただひたすら大きいと言う言葉さえ小さく思えるほどに巨大な一歩を踏み出せた気分だ。
 しかし、だ。気掛かりがある。浅慮な私でも、ううむと唸ってしまうのだ。この都会に、怒髪天を衝くかの如く無数に伸びゆくビルディングや、猫の額を奪い合うように所狭しと建てられた一般家屋に関してのことだ。それこそ先ほどまで滞在していた建造物もそうだが、何故あれらには布が被せられていないのだろうか。
 行きの新幹線では、不安緊張綯い交ぜの感情がワラワラと押し寄せた故の寝不足が祟ったのか、それとも高度文明の先駆けとも言えるあの乗り物が思っていた数十倍ほど静かだったからか、終点の東京駅に到着するまで恥ずかしいほどぐっすり寝てしまっていた。服がよだれでベトベトになっていた。そんなことだから外の景色なんてまるで見ていなかったのだ。東京駅からなんとか町駅まで、車窓の向こうに広がる光景を目にしては、叫びたくなる気持ちでいっぱいだった。抑えられなくて若干喚いたような気もする。何故都会の人間は、建物に布が掛かってないのに平気でいられるんだ? しかし、誰も疑問視してはいないようなのだ。なんとか暴れる心臓を抑えこみ平静を装ってみるものの、怖くて仕方なかった。行きも怖けりゃ帰りも怖いだろこんなんじゃ。
 今ようやっと乗り込んだモノレール内は、午前中よりは大分空いている。無理くり体を密着させる連中がいないことは救いだ。だが、車両の中央に陣取ろうとしたところ、後から乗ってきた若い女子がぐいぐいと私の背中を押してきて、開閉ドアの付近に立つしかなくなってしまった。恐ろしい。眼下に大きな川がある。振り向くのも恐ろしい、都会の女子は恐ろしいな。なんとか目を閉じてやり過ごそうとしていたら、突然、車体が大きく揺れたのだ。驚いて目を開けてみると、まあ、大した揺れではなかった。情けないが目を閉じていた分感受性が増していたのだしょうがない。どうやら反対方向のモノレールとすれ違い、車体が風圧を受けただけらしい。
 すれ違い終えたモノレールは目で追いきれなかったが、その代わり大きな川の向こう側に、灰色の布で覆われている建物を見付けた。私は思わず感嘆の声をあげ、それにつられて周りの乗客が一斉に同じ方を向いたようだ。「なにどうしたの?」「え、わかんない」「あれなに工事中?」「それもわかんない」「だっさー」などと急にざわつき始めた車内は、ものの数秒で水を打ったように静まり返った。というよりは興奮した私の耳が周りの音をシャットアウトしたのだろう。なんだ、東京にも布が掛けられている建物があるじゃないか。よかった、安心した。つまりこれはあれかな、地元では七月の第三日曜日と決まっている、年に一度の布洗いの日にぶち当たってしまったのか。もしくはこの地方だけ、まだ布掛かりの文化が根付いていないのか……。県境界をまたげばそこは外国だと叔父に言われてはいたが、それはつまり伝播するにも時間がかかるということなのだろうか。ともあれこれでやきもきすることもなく帰路につける。ああ、そうなると帰りがけに事務員さんに失礼なことを聞いてしまったな。意味の分からないような顔をしていたが、あれはむしろ逆か。当然のことを何聞いてるんだお前は、って反応だったのか。そりゃあそうだよな。正月に生麩風呂に入るのも、猿が寝てたら拝むのも、影鞠草が枯れたらズッコするのも常識だものな。今度会ったら謝るとしよう
 さて、それじゃあ作法に則って裸になるとするか。