さよなら、ギャシュリークラム

遺書を書かされています

「排気汚染にシンパシー」

 

「ついてないなあ」

 助手席の彼女が溜息混じりに呟く。薄くスモークの貼られた窓の向こうで本降りになってしまった雨空を見上げ、もう一度溜息をこぼす。
 そのとおりだ。実についてない。
 郊外にある、全国紅葉名所百選にも選出された大イチョウの木。正直、完全に色づくにはまだ早い時期だ。だからここまでの渋滞は予想していなかった。何より、天気予報を無視する雨にもだ。
「意外だったな、これほどとは。ごめんね、こんな日に誘っちゃってさ」
「あ、ううん。私も見に行きたかったもん気にしないで。でもさすがにお腹空いてきたなー」
 にこやかに強がる彼女に寂しく笑った僕は、拭き残しを頻発するワイパーを一段階上げ、先頭の見えない渋滞の先に目を細めた。
 数メートル進み、また停止。前方車両のブレーキランプが消える頃を見計らって、またブレーキペダルを緩める。ストレスが溜まるばかりだ。マニュアル車なら足が攣ってしまってもおかしくないかもな。
 前の車がまた数メートルほど進んだのを見て、ブレーキペダルから足を離す。と、側道から突然、車両の鼻先をあわや擦りそうになりながら白いミニバンが飛び出してきた。
 接触はせずに済んだが、当該の白いミニバンは、クラクションもハザードランプの合図もなく、僕らの真ん前に居座った。
「うわーやな感じ。無理矢理割り込んでお礼もなしとかないわー」
 彼女はいつも以上に憤慨した表情を見せた。
「いや、いいよ別に。ちゃんと側道に気を配ってなかった自分も悪い。それに、見返りが欲しくてやることでもないし」
「え、なんかカッコいいこと言ってる」
「いやさ、いつもこうする訳じゃないけど、本気で切羽詰まってもない限り譲ってあげていいと思うんだよ。一つの行為が巡り巡ってプラスになって返ってくるかもしんないし」
 彼女は感心するかのように大袈裟に頷いた。
「考えたこともなかったなー……」
 実際のところ、ちょっとカッコつけたくなって適当に思ったことを言っただけだ。そのせいでその後何度か遭遇する割り込み車両にも寛大な心で接する羽目になってしまった。でも、そんな行為一つ一つにも彼女は紳士的だねと笑って見せ、むしろ僕は嬉しい気持ちになっていった。
「あー、ほら」
 渋滞はのろのろと、しかし途切れることなく確実に進み始めた。ブレーキからゆっくりと力を抜くと、更に彼女は空を指さした。
「太陽も出てきたー!」
 そんな明るい声を微笑ましく感じながら、アクセルに足をかけた。
 僕の行いがどう巡るのかは予想できないけど、もし万が一でも僕らにとってプラスになるのなら、たまのこんな選択も悪くはないな。
「あ、こっちは渋滞じゃないみたい」
 ウインカーを出しながら右折レーンに入ると、どうやらここから先の目的地までは視界良好であるらしい。変わらず真っ直ぐ伸びたままの車の列を尻目に、僕はようやくアクセルを踏み込んだ。
 目的地を記す看板が三つ目を数えたあたりで、遠くに燦燦と彩られた大きなイチョウの木が見えてきた。僕は心を躍らせながら臨時駐車場の看板が建てられた砂利の区画にタイヤを転がせる。鼻歌交じりの彼女もニヤニヤが抑えられないようだ。
「やっぱり駐車場は混んではいるみたいだね。さすが百選の一つだ」
 砂利の上に書かれた白い矢印通りに徐行する。見れば屋台などもかなりの数が出店しているようであり、窓を開けるとソースの焦げた匂いが鼻腔をくすぐった。空腹もさすがに限界だ。焦らされただけ否応にも期待は高まるというもの。
「あ」
 駐車場をほぼ一周して見つけた最後の駐車スペースは、見覚えのある白いミニバンが今まさに占領した。運転席から這い出た中年女性は、そそくさと屋台の方へと走っていった。
 助手席の彼女は今日一番の大きな溜息をつき俯いたまま、黙ってしまった。
 ちくしょう、やっぱりついてない。