さよなら、ギャシュリークラム

遺書を書かされています

アームチェア型アイデアマンを絶滅させる方法

 ふと過激な物言いをしたくなったときに何に書けば良いのかと勘考した結果、今全然使ってないここでいいんじゃないのか、と思ったのでここに書く。

 最近はnoteで休み無く一言二言の日記を書いてます。

note.mu

 人気はありません。

 閑話休題

 

 あまり良い友人関係に恵まれなかったからか、僕の周りにはアイデアマンを自称するやつがやたら多かった。いや、実際のところアイデアマンなどと呼べるレベルでは無い。

「俺はアイデアしか出せないからな~」

「頭の中に素晴らしいアイデアがある」

 みたいなこというやつ、君の周りにもいたでしょ? いたよね? そいつら! 滅したいよね~!

 ちなみにそう言う奴らのことを僕はアームチェア型アイデアマンと呼ぶことにしました。一見有能そうだけど、安楽椅子の上でグダグダって理想だけ語るイメージ。有能そうに見えるのがポイント。

 別に良いんですよ。アイデアを出す分にはね。でもそれを行動で示せないと何の意味もないよってこと。最近久しぶりにそういうやつに出会ってムカついたは良いけど何も言えなかったので、次会ったときに言いたいことをまとめておくエントリです。

 そもそも、アイデアというものは脳内にある時点では、当然完成形とは呼べないですよね。そりゃそうだ、アイデアだもの。実現可能不可能関係ないもの。しかしね、思い付いた時点で、達成感を持つ人間は一定数居るんですよ。仕事をやりきった感。あとはお前らの仕事だよ、みたいなどや顔するやつ。俺は俺の能力を遺憾なく発揮してアイデアを提供してやったから感謝しろよ、みたいなやつ。みんなの周りにも居るよね? え、いない!? うらやましい!!!
 僕も趣味がアレやアレなもんで、アイデアなんてものは思い付いた瞬間に、アウトプット、文章化しなければ忘れてしまうし一生使わず終わってしまうと考えながら日々過ごしているんですよ。
 でも自称アイデアマンは何故かやたらと前向きだから、メモらなくても大丈夫、覚えている、などと勘違いする。正直忘れてしまっても問題ないんですよね彼らは。ああ、良いアイデアがあったんだけどなあ、とでも言えば自尊心は保たれる。良いアイデアを思い付く自分が好きなだけでさ。

 はっきり言ってしまえば、物事を解決に導くとんでもなく素晴らしく革新的なアイデアなんてものは忘れないんですよ。心に突き刺さった名言金言をいともたやすく忘れてしまいますか? なに? 忘れちゃう? 病院行けよ。最悪、言葉そのものを再現出来ずとも、なんとなく断片は覚えているものでしょ? 昔2ちゃんねるで見掛けた「深淵を覗き込む時、深淵を覗いているのだ」みたいなもん。ニーチェも二度見するわ。でもでも、ものすごく馬鹿な言葉になってはいるけど、断片だけは覚えてる。

 それにさ、本当に重要なものだと思ったのなら自然とメモを取りますよ。これはなんとしてでも忘れちゃいけない! って行動起こすんですよ。忘れてしまった時点で、メモを取る気が無かった時点で、大したアイデアでは無いのだと、断言してしまいます。逃した魚は大きい、ってやつです。ちなみに利点、というか早急に文章化する理由はもう一つあります。果たしてそれがどんなジャンルのアイデアなのかは知らないが、事細かく文章にしてみて、一度それを読み上げてみましょう。どうでしょう、大したことないな……となりません? え、ならないの? うらやましい!!!!! ……まあ、実際のところ、なんか思った感じとは違うな……ってなる人は多いと思います。文章書いてる人なら誰でも理解出来る感覚だと思いますが、一晩経って読み直してみると思ったほど良くないな、みたいなアレと同じ。待て、誰でも理解出来る感覚、とか調子乗って書いてみたけど、そもそも例えが間違ってる気がする。全然同じじゃない気がする。まあいいや。殴り書きだし。ちなみに殴り柿ってのは北東北の田舎町で生産される名産品です。柿を干す前に殴ることで細胞を壊しより甘味が強くなるそうです。という嘘を書く暇があるならちゃんとエントリを書き終えましょうね俺。

 えーっと書き出したアイデアがしょぼく見える理由ですけど、二つ考えられます。本当に大したことが無いか、或いは、文章力が無いか、のどちらかです。前者はともかく、後者はしょうもな。って思います? それがね、簡単じゃ無いんですよこれが。

 例えば身長が10cm違えば見える景色はだいぶ変わりますよね。他人の頭頂部が見えたり本棚の奥にある文庫本のタイトルがちゃんと見えたり。人間を観察することが好きなら、表情をつぶさに見ようとするし、車が好きならエンジン音やフォルムに目を奪われたりもするでしょう。目を開けていても見える景色は十人十色じゃ無いですか。じゃあそれぞれの脳内なんて、それぞれ以外に言い様がないですよね?

 僕はミステリー系のイベントの企画を考えたりするのですが、例えばあの部屋であの殺害方法であのトリックを使ってその時犯人はこう考えたからでも実は……などという事細かな情報は文章化出来ても、そう簡単に共有出来ないんですよ。シチュエーションや空気感、バックボーンなど、事前に頭の中にすべて用意された状態で思い付いたアイデアとは、それ単体では蕪雑極まりない。だって彼の言った部屋には赤い絨毯があるけど、彼女が想像した部屋には青い絨毯があるんですから。分かります? 分からない!? たぶん俺が悪い! ごめん!

 更には思い付いたばかりの興奮状態で支離滅裂な発言になる可能性もあるし、相手に「はあ? それで?」みたいな顔されちゃったらもう殺意を覚えるじゃ無いですか。だから素早くアウトプットして、冷静な状態で説明するべきなんですよ。そこまでして、アイデアと呼べるものになると思います。

 ブレーンストーミングというものがありますね。複数人で適当に言葉を出し合って多彩なアイデアを集める方法です。ブレストで出てきた案はブレーンストーンと僕は呼んでます。今思い付きました。これからそう呼ぶようにします。ストーミング、つまり嵐の中で見つけた石ころ。それはよく見れば宝石かもしれないし、モノポールかもしれないし、輝くトラペゾヘドロンかもしれません!!!! やべええ!!!! なんにせよ、頭の中に存在するだけでは無価値なんですよ。綺麗に磨いて残ったものがアイデアとなる。

 何かが製品化、それが既存にはない新アイデアが搭載されていたとき、

「ああ、俺もそれは思い付いてた」

 とか言う人多いじゃ無いですか。多くは無いのかもしれないけどやたら目につくから発言を続けます。それを聞いた人って、

「すっごーい!」

 なんて思わないですよね?

「じゃあ自分が先に作れば良いだろ」

 って思いますよね? そう言っちゃうとそいつは言い返すんですよ。

「なくても不自由しなかったし、別に遅かれ早かれ誰でも思い付くだろ」

 その通りだね!!!!! じゃあなんで自分は思い付いてたってどや顔するのかな!!!!?????? なんでなのかな!!???

 まあ極端な例でしたけど実話です。被害を受けてる人たくさん居るって信じてる。

 他にも、例えば小説の設定なんかで悩んでるとき、

「主人公が犯人だった推理小説とかどう?」

 と目をキラキラ輝かせてくる人が居たとしますよね。

「そのアイデア既にあるよ」

 って言うと、引き下がるどころか、

「プロと同じ設定考えつくとかすごくない!?」

 って自画自賛し始めるんですよ。まじぶっころ。

 すごくねえんだよ。そのアイデアなら別に誰でも思い付くんだよ。今まで誰もやらなかったのは、それを活かせるストーリーが書けなかっただけ。だから褒めるべき部分は設定じゃ無い。お前は先人の努力を貶しているだけだと早く気付いてくださいお願いよ恥ずかしい。

 結局旨いラーメン屋が人気殺到になったあたりで、

「出来た当初行ったけど、結構旨かったよ」

 とか。

 タイアップ曲が話題騒然となったアーティストを、

「昔ニコニコ動画に居たときは聴いてたなー」

 みたいなこと言ってるやつと同じ。ミサワか。あくまで自分の方が先に知ってた、ぶりたいだけなんですよね。話題がそれた? それてる気がする!!!

 もうまとめよう。

 自称アイデアマンは絶滅しません。残念ながら。でも一時的に撃退することは出来ます。

「アイデアに価値はない。それをすぐ実行することが大事だ、ってGoogle創業者のラリー・ペイジが言ってたよ」

 そいつがGoogleレベルのものをこの世に産み落とせるんならそれも僥倖。言うだけ言ったったwww程度のやつはたぶん黙ります。でも黙るだけ。だからもう物理でやるしか無いんです。

 

 結論:アームチェア型アイデアマンを絶滅させる方法、

    物理でやりましょう。

 

 

 追記:三年前くらいに似たような記事書いてました。こうして俺はアイデアマンどもに殺されていくんだ。

 

PSJとか言う魔境を観に行った感想

 8月19日。新宿にある芸能花伝舎にて『ポエトリースラムジャパン東京B大会』を観覧した。

 

POETRY SLAM JAPAN 2018|ポエトリースラムジャパン2018

ポエトリースラムはポエトリーリーディング/スポークンワードの競技会。その起源は1984年11月、シカゴのGet Me High Loungeでマーク・スミスが始めたとされます。今では南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、そしてアジアと世界各地に広がり人気を博しています。特にパリでは毎年、ポエトリースラムのワールドカップが開催され、20以上の国や地域の代表が集まります。

ポエトリースラムジャパンは2015年にスタートしました。地区大会を勝ち抜いたファイナリストが全国大会に集結し、優勝を競います。全国大会の優勝者1名はポエトリースラム日本代表として、フランス・パリで開催されるポエトリースラムW杯など、国際大会で活躍していただきます。

またポエトリースラムジャパンでは、客席から選ばれた5人の審査員が各出場者のパフォーマンスをジャッジします。つまりステージに立つ人だけでなく、観客も大事な参加者。ポエトリースラムジャパンは出場者、来場者、スタッフみんなでつくる声と言葉の競技会です。

ポエトリースラムジャパンは大会を通じて、世の中の言葉や表現がより自由で活発に発せられることを目指します。

  ポエトリーリーディングというジャンルがあることは知っていた。とは言っても、amazarashi(つまり秋田ひろむ)の楽曲の中に時折そういう曲が混じっていたので知っていただけである。ぶっちゃけ、ちゃんとジャンルとして確立しているだけでなく、歴史もそこそこあり、世界大会まであるとは思わんかったですたい。実際にポエトリーリーディングで検索するとこう書いてある。

ポエトリーリーディング (英語poetry reading) は、主に詩人が自作のを読み上げることを指すが、広義には詩を朗読するアート形態そのものをさす。ラップミュージックにのせて詩を読んだり、ビートボックスとコラボレーションして詩を読んだりという形態もある。

 

 さておき、こんなイベントを見つけたのはそれこそただの偶然であるが、観覧予約をしたときは不安が大きかった。なんかラッパーみたいな人とか多そうだし、治安が悪そう(小並感)。でも前々日の夜になるとむしろワクワクして眠れなくなるくらい楽しみになった(小並感)。正直ポエトリースラムジャパンの前に観る演劇があまりに楽しみだったってのもあるけどな。

 とりあえず新宿で道に迷って、なんとか着いた会場内でも迷ったが、客として一番に入り最前列をゲットした。

 結果を言えば、最の高。シンプルに詩を朗読するタイプもいれば、詩をラップ調に表現するタイプもいるし、ノートに書かれた詩をじっくり読むタイプ、ノートの類いを持たずオープンマイクのようにがなり叫ぶタイプ。詩吟のような始め方をする人もいるし、短歌オンリーで終えた人もいた。様々な表現の仕方があり、それぞれに特徴がある。声がやたらと良かった人、動きの緩急でパフォーマンスする人、中でも優勝した女性のポエトリースラムは圧巻で、決勝戦で最高得点を叩きだしたのも納得。

 点数の付け方も変わってた。予選AB、CD、準決勝、決勝のグループごとに客席からランダムで5名が選出され10点満点で採点。最高得点と最低得点が除外され、残った3人の合計得点で審査する。なので最高得点は30点になりますな。今回の最高得点が28点くらい行った気がするなあ。

 

 まあとても良かったのは本音だけど、ここからが本題っちゃあ本題。

 すべての競技が終わって強く抱いた感想は、内輪感のひどさ。いや、一概にひどいことだとは言えないかもしれない。言うならライブハウスでの身内感と何ら変わりはない。それこそ、内輪ネタをやる人もいるし、終始下ネタに殉ずる人もいるので、一定の度量がなければそもそも観客としてその場にいるのも辛いだろう。

 もうひとつ、終わった後に検索かけてみたんだけど、観客の感想ツイートがほぼない。びっくりするほどない。なんでないの?

 さらによくよく考えたら、ランダムな審査員とは言うが、その審査員の好みによってだいぶ変わってしまうよね。個人的にはなんでこんなに評価高いんだろう……と思った人も多い。優勝者、準優勝者に至っては評価が高いのも納得できるんだけど、準決勝、決勝に残った人たちの半分くらいは「え、なんで?」ってなる。これも自分の好みを前提に語っちゃってるからね、しょうがないのね。つまり参加者視点で考えると、意外と運要素が重要だったりする。

 

 そんな感じで、観覧した感想を書きました。来週の前橋大会行こうかどうか悩んでるし、11月にある全国大会も観てみたい。というか来年辺り出場してみようかなとかも思ってる。

 秋田ひろむになりてえ。

 

 

観劇感想 7月期

 noteに書いてみたもののnoteに書く意味もないなあと思ったのでここに書くことにします。

 

劇団名 遠吠え
 公演名 遠吠え、のコマーシャル
 作・演出 木村みちる(遠吠え)
 日時 2018年7月14日 (土) 15:00~16:00
 場所 SCOOL
 〒181-0013 東京都三鷹市 下連雀3-33-6 三京ユニオンビル5F

 遠吠えの代表であり、作・演出をつとめる木村が、
「書きかけの台本が沢山あるんだけど、どれを上演しようかしら。」と考え込んだ結果、
「観に来てくれた人たちに決めてもらったらいいのでは!」と考え決まった企画公演です。
 4演目とも最初の15分だけを上演し、15分経つと強制的に暗転、次の演目に移るというスタイルです。
ご来場頂いた皆様に3票お渡しし、終演後に「これを観たい!」と思った作品に投票していただきます。1作品に全票投票もよし、投票しないことも可能なので、純粋に「観たい!」と思った作品をお選び頂けるシステムとなっています。

 前述の通り、面白い目論見であるなと思った。「遠吠え」の演劇は3月に観た「天国と地獄」が最高に面白かったので、次回公演もマストだな、と決めていたのだ。
 だが公演内容を確認して不安があった。そしてその不安は、ある意味では的中してしまったのだ。
 以下、各演目の感想。

『コントロール・アン・ア・アン・アン・コントロール』(上演予定時期:2018年初冬)
 下町の小さな工場、男たちは来る日も来る日も金属をプレスしている。隕石でも降ってこない限り変わらないだろうと思っていた日常は、とっくの昔に手に負えなくなっていた。
 遠吠えには珍しく、男子多めでお送りします。
出演者:竹内蓮(劇団スポーツ)、二宮清隆(劇団天然ポリエステル)、鈴木茉唯

 結論から言うと、僕はこれに3票を投じた。理由の一つとして挙げたいのは、圧倒的な未完成感。この後の展開が気になる……とギリギリ思わせないタイミングで15分経ってしまう。工場の休憩所内で淡々と進む話、何やら事件が起こるわけでもなく、ただ従業員同士のいざこざ、にも足らない程度の小競り合い、でも水面下で着々と何かが始まっている……ような気はする。きっと事件は起こっているのだが(金の無心以外にも)、それが何かは観客視点では分からない。おそらくは終盤にかけて盛り上がりがあるような、気がするだけ。残念ながら、システムの都合上淘汰されても仕方ない作品だった。
 しかしながら僕個人の意見では、だからこそ続きを観なきゃいけない気がした。タイトル回収もどうやって行うのかさっぱりだ。気になって仕方ない、だからこれに3票を投じた。公式Twitterの様子ではだいぶ水をあけられた様子だ。まあ予想通りだったんだけど。

『ギャル』(上演予定時期:2018年初冬上演予定)
 高校三年生、ギャルたちは悩んでいた。恋に、進路に、世界の平和に。
 夏の始まり、補習に集まったギャルたちは、最後の夏休みの過ごし方について話し合う。
「いつまでも、ギャルでいられるわけじゃないから、」
 遠吠えの通常営業、オール女子でお送りするギャル達の議論劇。
出演者:苺田みるく先生(らぶ・まん)、さんなぎ、田中渚(日本のラジオ)、永田佑衣

 最多得票数を獲得したのはこの作品だった。
 わかる。観たときにこれが一番票集めるなと確信した。しかしテーマに反していると思った。なので僕はこの作品を投票候補から一番に外した。
 テーマは勿論、どの作品の続きが観たいか、だ。
 この作品の肝は、華やかさとキャッチーさにある。女子高生が4人、うち1人はド派手なメイクのヤマンバギャル。うち1人はいまどきな正統派ギャル。うち1人は真っ赤な髪のバンギャ。うち1人はギャルとも言えないパンピーパンピーバンギャがとあるアーティストのライブに行こうとしてるんだけど、パンピーは進路希望の用紙に何も書けなくて、残りの2人のギャルはなんだかずっと揉めていて。
 脚本演出ともに良かったし、演技も素晴らしかった。だけど悲しいかな、この後の展開に全く興味がわかない。全くは言い過ぎだけど、自分で考えてみてもどういう展開にすれば面白くなるのか予想がつかない。きっと面白くはなるんだろうけど、やはりそれだとテーマから外れてしまう。
 ぶっちゃけた話、今回の投票システムの不安とは、単なる人気投票、ひいては推し役者への忖度投票になりはしないか、と言う点でした。
 けっしてその通りだったとは言わないけれど、システムを理解して投票した人が本当はどれだけ居るのか。木村氏もただノリと勢いで作ったんじゃないか、という気さえした。

『猫の呪い』(上演予定時期:2019年夏)
 ある日、ある街に住む、ある男に、猫がのりうつった。
 男の恋人である女はパニック。何故、どうして、何があったらこうなるのか。女は悩んだ。悩んだ結果、友人の女(職業:トリマー)に男をみてもらうことに。
 遠吠え渾身のシュールホラー。
出演者:梢栄(劇26.25団)、佑木つぐみ(火遊び)
日替わり彼氏
13日(金)20時、16日(月)17時:竹内蓮(劇団スポーツ)
14日(土)20時、16日(月)13時:二宮清隆(劇団天然ポリエステル)
14日(土)15時:フジタタイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会)
15日(日)13時、16時30分、20時:山田健太郎(やまだのむら)

 シュルレエル、と一言で表現するのも憚れる、とても不気味で不思議だがあくまで日常の延長線上にありえそうな作品。男の恋人の真剣な表情と声、友人の女の戸惑う表情と声、ずっとそこらへんで猫っぽい素振りをしている男、の3人が舞台上にありただ淡々と会話が進んでいく。恋人は思い詰めたように話すし、友人は結局訝しんでるし、男は自由気まま。笑える要素が多いのだが、単に笑えはしないような不気味な空間が出来ていた。
 最後の展開、男が生玉ねぎ入りのサンドイッチを誤食し、苦しみもだえ、友人がビニル袋を取ってくるように言い、女がそれに従った。その間に友人が「もう、演技しなくて良いのよ」と男に問いかけるが、ついぞ男はぐったり動かなくなってしまう。あれ? 演技じゃないの? と言いたげな友人の頭に、恋人がビニル袋を被せて、暗転。
 ぱっと、ラーメンズの傑作「採集」を思い出した。とは言え、あちらは展開が予想できるし、こちらは展開の予想がつかない。一応個人的な定義として、ああいう演劇は無駄に場面転換を必要としないものだと思うので、またあのリビングひいては居住空間内で完結させるのだろうかと思う。その場合、つまり友人を監禁する描写……しかし男は絶命(気絶?)してしまったぞ? 恋人の行動の真意は? 話中に出てきた七不思議との実際の関連は? などなど疑問、考察の尽きない作品だった。しかし、今挙げた疑問考察部分はわりとどうでも良く、この作品は15分で完結しても良い、と考える。伏線、と言うよりかはシュルレエルを演出するための装置みたいなものだったんじゃないかな。公式がシュールホラーと明言してるのだし、深い意味を問うても無駄なのではないか、という理由でこれに投票するつもりも皆無でした。

『朝子さんと夕子さん』(上演予定時期:2018年初冬)
 朝子さんと夕子さんは二人きりの姉妹。あまり似ていない姉妹。中途半端に歳の離れた姉妹。
 久々に会った姉と妹は、ほんのちょっぴり互いの秘密を暴露し合う。墓場には手ぶらで行きたい女二人の会話劇。
出演者:佐藤すみ花(劇団背傅館)、二ツ森恵美(時々、かたつむり)

 とても不思議な作品だった。何を伝えたいのか、何を以て観ていれば良いのかわからない、でも観ていてじんわりと温かな気持ちや悲しい気持ちが入り込んでくる不思議な作品。
 2人の会話劇でありながら、途中に挟み込まれる互いにしか知り得ないモノローグ。一見すれば穏やかで理知的な姉と、過激で暴力的な妹。でも独白部分を介すると、ただ臆病で妹なしでは積極的に動けないだけの姉と、姉を大切に思うからこそ危険を顧みることなく冷静に行動する妹、という印象に変わる。乙一の作品、というイメージがついた。何処がと言われれば答えに窮します。
 アイスを勝手に食べた姉を唆し、夜中にこっそり二階の窓から家を出て、遠くのファミリーマートまで出掛ける、というシーンで物語は終わるのだが、その際の妹のモノローグが意味深だった。
 実は家の中には両親が居ないこと。玄関を開けると知らない人たちが待ち受けていること。それは悪い人たちだということ。未来を知っている自分だから、未来を変えられること。でも自分の死だけは変えられないこと。
 この姉妹の会話劇こそ僕が観たかった一つの演目で、考察欲が掻き立てられるものだった。正直に言えば、投票は迷った。こちらに1票、あちらに2票か、それともその逆か。好みで言うなら全演目を通して、これに決まりだったのだが、ルール上、自分の好みを推すのが正解だとも思えない。単純に好きな演目に投票してくださいと言われたら迷わなかったかもしれない。

 というわけで以上四つの演目への感想終わり。
 総評として、結果に不満はあるがやるならやるで観に行こうかなという気持ち。